Essay
第8回 「リアルとフェイク」
◆騙されたい心理?
誰だって騙されたくはないものである。
マジックが嫌いな人の中には、「騙されることが我慢ならない」という人が少なからずいる。
さいわい、大多数の人がある程度マジックを好きでいてくれるので僕らの活動の場はあるのだけれど、ではその人たちは騙されるのが好きなのだろうか?
マジックの面白いところは、たとえば手に握ったコインが消えたとする。これを物理学的に考えてみれば絶対に消えるはずなどない。だが現実にコインは消えている。この説明不可能なアンビバレント(※)な状況が人を惹きつけるのではないだろうか。
言い換えれば「リアル(現実)」と「フェイク(まやかし)」が同居する特別な世界こそが手品のたまらない魅力なのだ。
僕はこの心理を、「フェイク」に触れたいのではなく、むしろ「リアル」を感じたい表れなんじゃないかと考えている。騙されたいわけじゃなく、まやかしの中に潜む〝真実〟を見出したい、というような。
※相反する価値が共に存し、葛藤する状態のこと。二律背反。
◆日常から失われた「リアル」
話は飛躍するが、人々の日常に案外「リアル」なことは欠乏しているのではないか、と僕は見ている。
もちろん日々の生活の中で起きることはすべて、仕事の悩みも、家庭の問題も、お金も、健康も、人間関係も、寝ても醒めても消えない現実として追いかけてくるけれど、それでもなんだか皆、確かな手応えのある「リアル」に飢えているような気がしてならない。それがマジックぐらいで埋められるとは思わないけど、少なくとも心理的にはそうだという話だ。
キーを叩くだけで何十億ものお金が動いたり、ネットのみで成立するバーチャルな人付き合い、ブラウン管の中だけの戦争、何が「リアル」で何が「フェイク」か曖昧になってくるのも無理はない。
そもそもマジックというのは、はじめから「タネも仕掛けもありますよ」と謳い、実際その通りに見せるというとてつもなく正直な芸だ。ちっとも騙してなんかいない。
それに比べ現実の社会ではどうだ。とっくに切れてるはずの賞味期限が先延ばしにされたり、ぜんぜん違う産地の肉をそれと偽ったり、「リアル」の仮面をかぶった「フェイク」が蔓延している。
すっかり「リアル」と「フェイク」が入れ替わってしまっている。
「フェイク」を売りにするはずのマジックの世界では本当は何も不合理なことは起きていなくて、ウソが溢れているのは「リアル」な世界のほうである。
「ホントの中のウソ」をウンザリするほど見せられて辟易しているから、束の間「ウソの中のホント」を感じたい、そんな心理を時折、お客さんの瞳の奥に感じてしまうのだ。